読書メモ「発酵文化人類学」

 表紙が気になっていた本。ようやく読んだ。楽しく読めた。

 発酵は文化と共に存在している。文化は発酵により成り立ち、発酵は文化により成り立つ。発酵と文化には「交換」や「贈与」の関係性がある。そういう事実を本家の文化人類学の研究を引き合いに出しながら、上手く説明していた。

 発酵自体はそのメカニズムはほとんど解明されている。けれど、説明できない共生があるという。目に見えない相手と日本人含めて人間は長い間上手く付き合ってきたんだなぁと思った。

 自宅でも発酵を手作りしたくなる。甘酒、ヨーグルト、塩麹、そして味噌。手前味噌を作りたくなる。

群響の室内楽演奏会Vol.6に行ってきた

7/30(土)に群馬交響楽団の演奏会へ行ってきた。

普段はフルオケのプログラムに行くことが多いけど、今回は室内楽の演奏会。

 高崎芸術劇場は大ホールは行ったことがあるが、今回の音楽ホールは初めて。大ホールは赤を基調として格式高い感じだが、音楽ホールは明るい木に囲まれている。舞台の高さが低いため、演者との距離感が近い。天井は高めでボックスホール。演奏会開始前にバックで音出しが聞こえてきたが、はけ口の扉を閉めると全く聞こえなくなるから、音の制御が良くできている。

 自分は新古典主義というジャンルが好きだと思っているが、作品数はあまり知らない。しかし、聴けばほぼ例外なく良いと思える、ということで今回足を運んだ。楽しみは最後のマルティヌー。5年ぐらい前からマルティヌーは好きで色んな作品をCDやApple musicで聴いてきたが、生で聴くのは今回が初めて。果たして生で聴くとどんな感じなのだろうか。

 一曲も知らない演奏会は久々。

プロコフィエフ / ヘブライの主題による序曲 作品34>

 頭に異国な主題が提示されて、はっきりしない和音の中で進んでいく。なんというかはっきり土の匂いがあると思った。終わりはチェロのH-A?のaccelerandoの畳み掛けがスリリングだった。

 

プロコフィエフ / 五重奏曲 ト長調 作品39>

 Ob.とCl.がよく響いている。にしてもそれにVn.とVa.とCb.なんて不思議な編成だ。ピンポイントで急激な上昇音型。短いショッキングな響きでもプロが演奏するとその中にハーモニーがしっかり内包されているんだなぁと感心した。前から4番目のセンターの席だったが、舞台真ん中で自分と対峙している?Cb.の低音が直接体の芯に響いてくる感じがする。あまり音が飛散せずに内向きでまとまっている。このホールでもいろんな席で聴いてみたい。

 

休憩後に

バルトーク / ミクロコスモス から 107 霧の中のメロディ 97 夜想曲 128 田園舞曲 142 ハエの日記から>

 休憩終わりの舞台配置は6重奏用に譜面台と椅子。その奥にセンターにピアノ。ピアノの北村さんが入ってくると、照明がすんと落ちていき、ピアノ1台にスポットライト。譜面台と椅子が暗くモザイクのようになっていて、まるで背の高い草むらの向こうから音楽を聴くようである。ミクロコスモスはグリーグの抒情小曲集をさらにショートショートにしたようなピアノ曲集。でもテイストというか方向性は抒情小曲集に近いものを感じた。

 

バルトーク / 戸外にて から 4 夜の音楽>

 そのまま落ち着かずにこの作品。夜に聞こえてくる音を音楽にした作品だという。うんと静かな曲。ずっと丘が続いていくハンガリーの夏の夜。今よりずっと暗くて、自然が近かったんだろう。車の音も聞こえない。街灯もない。何か音がしてもその主を戸外の暗闇の中に見出すことができない。そんな音風景を遠くのピアノのシルエットから見出していた。

 昔は家の中の明かりだってずっと少なかったんだろう。家の中にまで暗闇が強く支配していたはずだ。上から落ちているスポットライトが、あるいはキッチンのテーブルに置かれたランプかもしれない。自分は暗がりにいて、隣の部屋のランプが見える。テーブルの上面の木目は見えるけれど、その下は全くの真っ暗なのだ。

 そうか、、あるいは、、"戸外にて"とは、外から聞こえる音であると同時に、外から中を見つめている自分を投影しているものかもしれない。

 と、うつつとした浮遊した精神世界の中で、ふと音楽が終わった気がした。いや?終わったのか?ピアノは演奏を続けている。この曲を聴いたことがないからわからない‥‥‥と思っていると、舞台の外からホルンの音が響いてきた。

 

ヤナーチェク / コンチェルティーノ JW Ⅶ/11>

 すっとホルンが上手から舞台に出てきた。そう、、しれっと本当にしれっとヤナーチェクが始まっていた。でもしばらく信じられなかった。曲調がバルトークと言われればバルトークなのだ。ヤナーチェクというよりもバルトークなのだ。でも一曲目が終わった。もうこれはヤナーチェクなのだ。二曲目はピアノが激しく始まる。そしたら次は下手からクラリネットが飛び出してきた。細かく激しい曲。三曲目はファゴットから弦楽器を含めて順々に入ってきて、4楽章はトゥッティー。みていて楽しい曲。なんとも楽しい曲。楽章を重ねるにつれて、シンフォニエッタの中間楽章に似ているフレージングが出てきて、あぁヤナーチェクだなぁって。なんというか安心感があって、不思議な幸福を感じる。照明が少しずつ増えていって、動物がモチーフの作品だけあって、かわいいカオスだった。バルトークからひと通しだったので、演奏の終わりには大変な拍手だった。

 

マルティヌー / 九重奏曲 第2番 H.374>

さて、自分にとってのメイン。マルティヌー。聴いたことないと思っていたが、冒頭のクラリネットで、あぁこの曲かぁと。切れ目なくどんどん突っ走っていく。なんというか周りのお客さんも「あれ?楽しそうな曲だな」とぬくっと起き上がるような気配を感じた(?)。生でマルティヌーを聞くとどんな感じなんだろうと思っていたが、やっぱりカオス。一つ一つの楽器が上辺では立っているが、内側はぐちゃぐちゃに混ざり合っている。そして徹底的なシンコペーションで前のめりで走っていく。あっという間に最後まで行ってしまった。1楽章の途中あたりから、あまりの幸福感に泣きそうになってしまった。マルティヌーって上手く言えないが、「小さな幸せ」に溢れている気がする。小さな幸せが集まって大きくなるわけでもなく。キラキラと輝く小さな光がたくさん集まっている。

 

本当に聴きに行ってよかったと心から思える演奏会だった。家に帰ってからも、ずっとマルティヌーを聴いている。小さな幸せが、手に届きそうなところに響いている。